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原産地・栽培の歴史

落花生は南アメリカ・アンデス山脈の東麓が原産といわれる豆科植物です。ここから南米各地、カリブ海諸島、メキシコ等へ伝えられ、コロンブスのアメリカ大陸発見後は各種のルートを通じて旧大陸へ導入され、欧州へは1574年に伝わったと言われています。

日本では、沖縄ではかなり古くから栽培されていたようです。また18世紀初頭に中国から伝播したものか「ナンキンマメ」の名称が残っており、栽培されていたのではないかと思われるが明らかではありません。神奈川県では明治4年に寺坂慶次郎氏が横浜から中国産の種子を取り寄せ試作し、また明治7年に政府がアメリカから種子を導入して各地に配布し栽培が開始されました。

現在の主産地である千葉県では、明治9年現山武市(旧南郷村)の牧野萬右衛門氏が内外の商況視察のため横浜に行った際に中国の商人から栽培の状況を聴き、神奈川県下で種子を入手し、有志と試作したところ風土地味にあって良好な成績を得ることが出来た。これが千葉県における栽培の始まりとされています。千葉県では明治11年、政府から種子の配布を受けて栽培の布達を出し、落花生は粗悪の土地でも育つうえ1作で他の作物の2倍の利益があがり、特に落花生の油は西洋人の好む鰯の油漬けに適するので、沿海の漁場で鰯が捕れる当県は鰯の油漬けの大産地となりうる、と栽培を奨励しています。このように栽培の当初は今日の消費構造とは全く別の姿を想定していたようです。当時は産地には加工技術もなく、食べ方もわからない状況にあって収穫物は県が買い上げ、東京でこれを販売したところ予想外の高値で取引されたことから明治20年頃には生産が拡大し、また明治23年には初めての輸出が行われています。千葉県における戦前の生産のピークは大正6年で6,290町歩の栽培がありました。

全国では第2次世界大戦によって嗜好品的要素の強い落花生は統制によって甘藷に取って代わられ、栽培は次第に姿を消し、昭和26年に作付統制が解除されると再び作付けが拡大しました。昭和40年には作付面積で66,500ha、生産量は昭和38年に144,000tと最高を記録しましたが、その後は野菜類への転換や栽培の機械化の遅れ等から、生産はほぼ15年ごとに半減し、平成23年には7,440ha、20,300tとなっています。

(主として「千葉県らっかせい百年誌」、前田和美著「マメと人間」から引用。)

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